2014年4月17日
大きく口を開いた張り子の虎は、笑っているようにも見えます。
なんだか憎めないとっても愛嬌がある表情の虎が田井民芸さんの作る張子虎です。
田井民芸さんは讃岐の西部、三豊市にあります。
その三豊市にある仁尾港。
「獅子の子落し/獅子は子を産んで三日たつと、その子を 千仞(せんじん)の谷に蹴落(けお)とし生き残った子ばかりを育てる」ということわざにも込められているように、昔から虎は勇猛で親子の愛情が深い動物として縁起が良いとされていました。
かつては日本各地、男の子が生まれた家庭で端午の節句や八朔に合わせて飾られていました。
小さいものは12cm程度、大きなものは子供が乗ることができる1mを超えるものまで。表情も作り手によって、また一つ一つ手作業で作られている為にどれも違います。
取材に伺った1月は5月の子供の日に向けて張り子の製作が最盛期。
大忙しで張り子の製作中。
5代目伝統工芸士、田井艶子さん。
可愛らしい笑顔が印象的な方です。
小さなまめ虎「とらちゃん」から大きな子供が乗ることができるサイズの虎まで、全てのサイズの木型があります。その型に和紙を貼り重ね、虎の形を作っていきます。
木型に貼り重ねる和紙は、新しい和紙だけでは堅すぎてきれいな形にならないため、昔の教科書などの軟らかい和紙も使用しています。
時代とともに紙の質も変わってきているため、新しい和紙と古紙との配合は、その時々に使用する紙の質によって異なります。
そのため、必要な紙を選別し、長年の経験に基づいてちょうど良い硬さになるよう調整し、何重にも重ねていきます。
昔の作り方どおり、虎のひげには白い馬毛を使用しています。
虎の大きさに合わせて丁寧に選別しされ、形を整えられたひげによって、虎の表情はさらにいきいきとしてきます。
だいたい5層ほどに和紙とのりを塗り重ね、乾かし更に胡粉を塗って虎の色や模様を付けていきます。
1体の張子の完成までに約20日間ほどかかるそう。
手のひらに乗るサイズから人が乗ることができるサイズまで、すべて手作業で同じ工程で作られていきます。
張子の模様や表情は全て手描き。
神経を集中して一筆を進めます。
「昔はね、もっと勇ましくて怖い表情の虎だったんだけど、今はもっと優しい表情の虎になっています。」
元々艶子さんはお嫁さん。張子虎作りを継ぐつもりはなかったそうですが、「先代の手伝いはずっとしていて。先代が亡くなった時にもうやめようかとも思ったんだけど、やっぱり周りの人が続けて欲しいと言ってくださる方が多くて継ぐことにしたんです。」と、周囲の人からの熱意に応え、作り続けているそうです。
作り手によっても表情が全くことなる張子虎。
田井さんの作る虎達は、どこかおおらかな優しさと愛嬌感じる虎です。
小さな12cmほどの「とらちゃん」は艶子さんが考え出したものだそうで、ネーミングもその姿も愛らしく、いつも身につけ、飾っておきたくなります。
伝統を大切にしながらも、その人らしさがある張子。
田井さんの作る張子虎は、力強さの中にも女性らしい優しさの詰まった虎です。
2014年4月 2日
木目を感じるシンプルな美しいフォルムの器は、そのままずっと眺めていても飽きない佇まい。
まだ使用年月の短い肥松の器は、少し手に残る独特の触感と木ならではの暖かみを感じます。
日本は国土の約67%、3分の2が森林で覆われており、私たちの暮らしと木々の関わりは古くから切っても切り離させないものでした。
もちろんそれぞれの地域ごと風土に適した木は異なります。
香川といえば、全国の約8割のシェアを誇るほどの盆栽の一大生産地。
盆栽の樹種として昔から使用されているのが黒松です。
その黒松の中でも、樹齢300年以上の油分をたっぷりと蓄えた木の中心部が肥松。
肥松は100年程の時間をかけて色が飴色に変化し、手触りも使用するごとに良くなるという特製を持っています。「親子孫三代続くことでその家が完成し、栄える」とされていた日本の考え方や、松竹梅にも表現される松そのものが持つ吉祥の象徴的な意味合いも相まって、肥松は高級木材として重宝される木材でした。
香川では黒松の育ちやすい環境があり、昔から良質な肥松が採れていたため、大阪や京都など広く出回っていました。
またろくろ仕上げの肥松の木工品も江戸時代から作られており、茶人などに愛好されていたようです。
肥松の天板。年月を経るごとに飴色になり丁寧に拭き込んで使用する事でつやが増します。
そんな肥松を使用した木工品を作っているのが、高松市内に工房をもつ有限会社クラフト・アリオカです。
田んぼの広がる、讃岐らしい細いクネクネとした小道添いにその場所はあります。
讃岐式のろくろで挽いた木工品を今でも作る工房です。
「父が木工を始めたのは戦後まもなく。終戦後、兄弟たちが戻ってきて食べるものがないので木の加工を仕事にしたのが始まり。」と工房の成り立ちを教えてくれます。
今回お話を伺ったのは、2代目肥松の伝統工芸士有岡成員さん。
最初は輸入木材を加工し外国に売っていましたが、やがて国内の木の加工をろくろで始めるようになります。
その際に、低調しかけていた香川の漆芸を再興させた人間国宝の磯井如真氏に腕を買われ、氏に提案され作り始めたのが肥松との出会い。
肥松は油分を多く含む特製のため、加工が非常に難しく、高い技術が必要となります。
また肥松の器の制作を後押ししたのが、香川のかつての知事、金子正則氏。
仕上げの油に酸化しにくいオリーブオイルを使用するようアドバイスを受け、いまでもクラフト・アリオカさんの作る肥松の仕上げはオリーブオイルです。
そんな偶然の出会いが重なり、幻とまで呼ばれていた肥松が、今、再び私たちでも手にできるようになりました。
光に透かすと、油分を多く含むため木であるにも関わらず光が透ける。
工房に置かれた道具たち。道具も自ら作った物が多い。
松脂の多い肥松は、ろくろで削っていくと顔中が木屑だらけになってしまうほど。
有岡さん曰く、死んだ木を使ってもだめで、生きているうちに切り出した木でないと、この肥松独特の時間による色の変化は生まれないのだそうです。
しかし、残念な事に、樹齢300年を超える黒松は現在ほぼ入手できない現状。
もしあったとしても、切り出してから20年間以上は寝かせないと使用できないため、「今ある父親の代のストックを使っていくしかない」と有岡さんは語ります。
材料である肥松も、天井付近の軸からベルトを引いた横向きに座るロクロの造りも、讃岐で受け継がれていたもの。
「壊れても人を傷つけることの少ない"木"。
作られているものは人にやさしいものが多い。」
時間の経過と共に味わいが増す、有岡さんの作る器。
日々の暮らしに寄り添うずっと手元に置いていたい讃岐の逸品です。