今回はさぬき市にある(株)安岐水産にお邪魔しました。
安岐水産は津田港のすぐそばにあります。車で5分ほどの場所には「日本の渚百選」にも選ばれた津田の松原があり、風光明媚な観光地として親しまれています。
1965年創業、いかの王様「アオリイカ」を使った「いかそうめん」を中心に香川県ブランドのさぬき蛸や讃岐でんぶくも扱う水産加工会社です。
〈さぬき蛸といりこの瀬戸内アヒージョの製造〉
2019年度かがわ県産品コンクールにて食品部門の「うどん県。それだけじゃない香川県」知事賞(最優秀賞)を受賞した「さぬき蛸といりこの瀬戸内アヒージョ」はかがわ物産館「栗林庵」で3年半の間に2,300個以上販売するほどの人気商品です。
主役であるさぬき蛸、伊吹島周辺の海で取れたいりこ(カタクチイワシ)、香川本鷹(とうがらし)、にんにく、坂出の塩など、香川県産のこだわり素材をぜいたくに使用しています。
商品開発にあたっては何度も試作を繰り返し、食材の配合の割合や、パスタやバゲットに合わせた時の味のバランスはどうかなど、納得がいくまで半年間ほどかけたそうです。
それでは、製造工程を見ていきましょう。
一般的には機械で行うタコの滑り取り(洗浄)を安岐水産では、タコの吸盤から足の先まで手間ひまをかけて手で汚れを落とします。手で洗うことで吸盤の細かい部分の汚れもしっかり取れ、機械洗浄した場合に比べて格段においしくなるそうです。
驚いたのはこのアヒージョの製造工程もほとんど手作業でおこなっていること。
タコは食べやすい大きさにカットし、いりこは頭とはらわたをきれいに取り除きます。
丁寧に下準備された材料を全て混ぜ合わせ、オリーブオイルで満たしたトレイに入れ、均等につけ込みます。
その後、専用の加熱調理機で加熱し、粗熱をとって冷蔵庫に移します。味がなじめば、瓶詰めをして完成です。
〈県産品コンクールの受賞について〉
当時は今と比べて漁獲量が多かったさぬき蛸の普及の目的で、安岐水産にとって初めてとなる瓶詰め加工食品を2019年の県産品コンクールに応募し、知事賞を受賞。受賞後、反響は大きく多くのメディアにも取り上げられました。
過去にも県産品コンクールに出品したことがありますが、その時は惜しい結果となりました。受賞できなかった理由について考えてみると、中身の品質がいいのは当たり前だが、商品の中身だけではなく瓶や箱などのパッケージデザインも重要だということに気づいたそうです。そのときの失敗がさぬき蛸といりこのアヒージョの受賞につながったと、当時のお話も聞くことができました。
最近ではさぬき蛸の漁獲量は年々減っており、製造も難しい状況になってきています。リピートくださる方や、パッケージをかわいいとお土産に買ってくださる方もいらっしゃるので少量ずつでも長く作ってお客様にお届けできるようこれからも作り続けていきたいとおっしゃっていました。
〈漁業の技術的な発展〉
漁業従事者が高齢化し、減少している現状を重く受けとめ、香川県では「かがわ漁業塾」の研修生を募集しているとのこと。さぬき市津田にも毎年県外から漁師を目指して若者が数名来てくれているそうです。
栗林庵につなげて言えば、漁業だけではなく、香川漆器などの伝統的工芸品も後継者不足に悩まされていると聞きます。こういった、地域の魅力である産業をどう未来につないでいくか、もしくは時代にあった技術やシステムをどう取り入れていくかというのが業界に限らず、今後の大きな課題になりそうです。
〈さぬき蛸調査隊の商品開発に協力〉
今年の夏休みには海と日本プロジェクトの企画で「さぬき蛸調査隊」という子供達が参加する体験学習が行われました。タコが獲れない理由を探しに森や海に足を運び、漁師さんの話や大学の専門家の先生に聞きにいった3日間のプロジェクトでした。最初はタコを使った商品を新たに作ろうとしましたが、そもそもタコが獲れません。そこで子どもたちが着目したのはタコが減る原因と言われている鯛に注目。この鯛の増加を抑えることができれば、逆にタコが減らずにすむんじゃないか、生態系を元に戻すことができるんじゃないかと子どもたちは考えたそうです。そこでは子供ならではのアイデアとして鯛を使ったおやつを作ったらという意見が出てきたそうです。
安岐水産の社屋の隣にあるねこ海レストランで料理を提供する際のアイデアとして容器をプラスチックから木製のものに代えたり、鯛を使った食品をお弁当に入れたり、地産地消にこだわり、さぬき市や香川県でとれた食材を使用したりと興味深い考えが多数出てきたそうです。
〈チーム活動について〉
安岐水産では「チーム活動」というものを行っていて、社内の役職、部署などに関わらず、「SDGs社会貢献チーム」や「おもてなし感動づくりチーム」など、全部で6つのチームに従業員全員が参加し、社内を盛り上げるイベントや、お誕生日に感謝を伝える活動、海岸の清掃など様々な活動を行っています。
キャプテンは役職に関わらず、パート従業員やインドネシアからの技能実習生が担当することもあるそう。それぞれのチームでは日常の業務とは別の活動などを行います。インタビューを伺っている最中、事務所の雰囲気がとても和やかでしたが、そういったチーム活動が社内の風通しの良さや信頼関係を形作っているのを感じました。
〈インドネシアの技能実習生について〉
現社長の安岐麗子さんは以前、インドネシア ジャカルタへ日本食品の輸出をされていたそうですが、そういった縁もあってか、現在までに25名のインドネシアからの技能実習生を受け入れています。話を聞くところによると皆さん真面目で技術を真剣に勉強してくれて、一所懸命働いてくれるそうです。
技能実習生の取得した魚の加工方法などの技術もゆくゆくは海外からの原材料輸入などに役立ってくれることで未来につながっていけばうれしいと営業部の山中さんはおっしゃっていました。
今回取材をしてみて、さぬき蛸といりこのアヒージョの原材料や製造へのこだわりはもちろんですが、安岐水産の取り組みについて初めて伺い、社内でのチーム制の導入や、SDGsや食育に関する取り組み、技能実習生の受け入れなど広い視野を持った多角的な活動について非常に魅力的なお話を伺うことができました。これからの未来を見据えた安岐水産の活動に注目していきたいと思います。
〈株式会社 安岐水産〉
https://www.aki-mp.co.jp/
〈ねこ海レストラン〉
安岐水産の社屋に隣接した魚介類を使ったお惣菜店。
瀬戸内のおだやかな海を眺めながらおなかと心を満たせる場所です。
おすすめは「イカ丼」「たこ飯」「さしみ(日替わり)」とのことです。
伝統を大切にしながらも時代に合わせたモノづくりを実践してきた染物屋がある。
この度は創業200年を超える染物屋、大川原染色本舗へ「讃岐のり染」(香川県の伝統的工芸品)の魅力やこれまで手掛けてきた染物の話、今後の展望などについて、香川県伝統工芸士でもある7代目大川原 誠人さんと奥様にお話を伺った。
大川原染色本舗は江戸時代、文化元年(1804年)に初代である富造によって創業された。当時は一般的に藍染が中心で時代を経るごとに、その時代に合わせて手掛ける染物も変わっていった。空襲で多くが焼けてしまったため江戸時代のことについては分からないことも多い。そんな中で、藍甕(あいがめ)の底に保管していてなんとか焼け残った明治時代後期の生地見本を見せていただいた。藍染のもので当時はこの生地見本からお客様に選んでいただいて着物を染めていた。白く染め抜くために生地の両面にのりを置いている。片面だけでは真っ白にならないためだ。両面とも同じ場所にのりを置いていくのには非常に技術がいる。現在では再現が難しいものもあるという。
戦後まもなくのころは、戦時中に使用していた軍服や国防服の染め直しの依頼を多く受けていた。物資の乏しい中で新しいものを見繕うよりは今あるものを、ただそのままでは戦争の苦い思い出がよみがえる。だからせめて染め直して使おう。そういったこともあり染め直しの需要が多かった。他にも進駐軍から星条旗の染の依頼もあった、戦後すぐのことで葛藤もある中で最終的には引き受けた。当時は川や海岸で染めることもあったのだという。
その後も時代に合わせてお客様のさまざまなニーズに応えてきた。
出来るだけお客様からの依頼は断らない。そういった姿勢が今日まで大川原染色本舗が続いてきた理由だろう。
実は、誠人さんは高校選択時には家業を継ぐかどうか迷っていた。周囲からは工芸高校の工芸科を勧められていたが、他校の普通科を選択した。
そんな中、誠人さんが家業である染物について見直す出来事があった。誠人さんのお父様で先代の静雄さんが、当地のデザイン、アートに精通していた金子知事(当時)からのきっかけによって、アメリカ・シアトルにある州立ワシントン大学に客員講師として招かれ、書道と染色を一学期間指導に行くことになったのだ。
このことがきっかけで、誠人さんは家業が海外でも評価されるのだと知った。もし静雄さんがアメリカに行っていなかったら、染色をやっていたかわからないという。
「近くにいるとそれが普通になってしまい、なかなか客観的に見ることが難しかったんです。」
染物屋は全国各地にあり、その数は減ってはきているものの各地にいまも残っている。面白いのは地域によって特徴があり、それぞれ得意な分野があるのだという。例えば、岐阜県には相撲の幟(のぼり)を専門に染めているところがあるなど、染物屋といっても地域ごとにその内容は違ってくる。
香川県には獅子舞の文化があり、秋になるとあちらこちらで祭囃子の音が聞こえてくる。その獅子の胴体部分にあたる布のことを油単(ゆたん)といい、鮮やかな色彩で様々な絵柄が描かれている。この油単の染めにも讃岐のり染が使われている。大川原染色本舗でも多くの油単を染めてきた。この油単の絵柄も今と昔では違ってきている。特にここ最近でガラッと変わってきたという。以前は吉祥柄や武者絵と呼ばれる所謂定番ものが多かったが、現在は同じ武者絵でも、よりストーリー性のある絵柄や色彩など個性が光るものの依頼が増えている。他にも本来はセットで描かれることの多い「龍虎」だが、近年は「虎」だけのデザインを希望されることもあるなど、求められるデザインが変化している。また、図柄が複雑で色も多彩になっているためとても難しい作業が求められる。
「毎回がチャレンジです。」
出来上がった油単はそれ自体がまさにアート作品そのもの。展示して飾りたいくらいだねと、お二人とも笑っておられたのが印象的だった。
私もデザインを見せていただいて緻密でありながら大胆な図案に見入ってしまった。まさしくアート作品そのものといった味わいがある。
ぜひ、祭りの季節に華麗に舞っている獅子の姿をぜひ1度見てみたい。
実際、獅子を新調すると舞っている姿を一目見ようと人が集まってくるそうだ。地域振興にも一役買っている。もちろん、決して安いものでないため地域(自治体)の理解は必要だ。しかし、丹精込めて作られた油単はきっとそれぞれの地域にとって誇りとなるに違いない。
他に最近注文が増えているのが店先に掲げる「のれん」だ。
一時はあまりその姿を見なくなっていた「のれん」だが、最近では再び需要が伸びているそうだ。栗林庵でも大川原さんに染めていただいた「のれん」を使用している。お客様が「のれん」をバックに写真撮影をされている姿をよく見かける。
大川原さんご夫婦は旅行が好きで色々な場所に行かれるそうで、職業柄「のれん」など染物に目がいくとのこと。そうすると京都でも有名店などが「のれん」を使用しているのを見かける機会が増えたと感じるそうだ。
「和モダンな雰囲気や老舗感の演出として「のれん」を使用するところが増えたのではないかと考えています。」
ここまでは、大川原さんが手がけてきた染めの仕事について書いてきた。
ここで、少し具体的な作業についてのお話を伺ったので、一問一答形式で見ていこう。
Q:染めて仕上がるまでにはどのくらいかかりますか。
大川原さん:ものによって変わってきます。色数の少ないものだと3週間くらいで仕上がります。(上記の)油単などになると半年以上かかるものもあります。
Q:色とりどりの染物を手掛けられるにあたって、どのくらいの色を使用するのですか。
大川原さん:もとの色となるものは15色ほどですが、デザインに合わせてその都度調合しています。
Q:染めの中で一番難しいのは何色ですか。
大川原さん:灰色です。灰色を作るにはまず黒を作り、それを水で薄めていくことで灰色が出来上がります。他の色を混ぜ合わせていくことで黒を作るのですが、この時の配分次第で赤っぽい灰色になったり、青っぽい灰色なったりします。この作業が難しいのは染の段階では水分量が多く、この時点では黒く見えるため乾いてみないとはっきりと色がわからないところです。
Q:今まで手掛けてこられたもので最大のものは何ですか。
大川原さん:30年近く前になりますが、冠纓(かんえい)神社の大獅子 です。(*これは県指定の有形民俗文化財にもなっている。)他には約20mの幕も手掛けたことがあります。大きなものになると一度には染められないため何枚かに分けて染めますが、その分縫い合わせる際の柄を合わせることも考慮して染めなければいけません。
最後に今後についてもお話を伺った。「今までもそうであったように、伝統を大切にしながらも時代のニーズに合わせたモノづくりを行っていきたい。そして、いまある伝統のものがそうであったように、いずれは伝統と呼ばれるようなモノづくりを心掛けたい」とおっしゃっていたのが印象に残った。
恥ずかしながら、私は大川原さんに取材させていただくまで、「讃岐のり染」のことをよく知らなかった。しかし今回お話を聞かせていただく中で、「讃岐のり染」の魅力はもちろんのこと、伝統の継承だけでなく、時代と向き合いながら先を見据えた製作を行われている姿に感銘を受けた。私は漆芸の勉強や短期間だが着物屋で働いていたこともあり、いわゆる伝統分野の話を聞く機会があった。もちろん前向きに仕事をされている方も多かったが、困窮している話や消極的にならざるを得ない状況などの話題も多く聞いていた。そういう経緯からか、余計にこんなにも身近に先を見据えた製作をされている姿にはとても心動かされた。
取材のあと、製作の現場を撮影させていただいている際に息子さんも私たちに同行してくれた。伝統分野は後継者がおらず、その歴史に幕を閉じることも多いと聞く。お子さんが家業に興味を持ち、実際に継ぐことのできる体制を築くことはとても難しいと思う。 誠人さんも「これまでの伝統の継承も、これから伝統を作っていくのにも環境づくりが大切だと考えています。」とお話しされていた。 次世代への継承という点でも、大川原染色本舗のこれからが楽しみだ。
敷居が高くてお願いしづらいと言われることもあるという。そこでより身近に感じてもらえるようにトートバッグやハンカチ、巾着など、手に取ってもらいやすいような雑貨も製作している。
栗林庵オンラインショップでも一部だが取扱っているので、ぜひチェックしてみてください。
「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」
今回は「石垣の名城」として有名な丸亀城の敷地内にある「うちわ工房 竹」にお邪魔しました。(2023年1月現在、石垣は修復中です。)ここはうちわ職人の方達が自ら作ったうちわしか置いていないため、タイミングによっては実際の工芸士の方から直接買うことができるというお店です。
皆さんは日本全国で作られるうちわの国内シェアの9割が丸亀うちわであることをご存知でしょうか? 江戸時代初期には「丸亀うちわ」の技術は確立していたといわれ、金比羅参りのお土産として全国的に広がりました。
昨今、扇風機やエアコンなどの家電の発達に伴い、うちわを使用する機会が減っていますが、改めてうちわの良さを見つめ直してみてはいかがでしょうか。
まずは丸亀うちわの制作工程を見ていきましょう。
○木取り
水分につけて柔らかくしておいた真竹をうちわに合わせた幅に切ります。
この最初の作業の時点でどのようなうちわを作るかをあらかじめ決めた上で作業を始めます。
○ふしはだけ
骨の上部の穂になる部分は3mmの厚さに削りますが、定規などで測ったりせずに長年の経験を踏まえ感覚を頼りに行います。 うちわ作りでは香川県産の真竹(まだけ)という種類の竹を使っています。竹の種類には他に孟宗竹(もうそうだけ)などがありますが、孟宗竹は厚みが15mm以上あり、たくさん削らないといけないため、丸亀うちわ作りには向かないそうです。(真竹の厚みは7mm程度) 他にも真竹は節と節の間隔が40cm程度と長いため、そういった要因もうちわ作りに向いているそうです。
○割き(わき)
専用の割き機を使って、厚さ0.5mmの穂を34〜35本程度作ります。写真で見ると分かりにくいですが、わずかに位置をずらしながら刃をリズミカルに上下することで均等な厚さの竹の骨を作っていきます。
ちなみにこの割き機は大正2年に脇 竹治郎によって開発されました。この割き機が開発され、他の職人たちも広く使ったことによって、それまでと比べて飛躍的に大量生産が可能になりました。そう、この割き機が丸亀うちわがシェアを広げる大きな一因になったそうです。
○もみ(もみおろし)
割きの作業で途中まで入れた切り込みをもみおろすことによって、切り込みを柄の根元まで均一に延長することができます。この作業は竹を水分につけ柔らかくした状態でないとできません。一見、割きの作業で根元まで切り込みをいれればいいと考えてしまいますが、そうすると竹の骨の1本1本が切れて、バラバラになってしまうため、うまくできないとのことでした。全ての作業はあるべくしてあるということを改めて知りました。
最終的には幅17mmの中に厚み0.5mmの穂が33~34本できます。
○穴あけ ○柄削り ○編み
うちわの骨を扇形に開く役割の鎌を通すための穴を開けたり、柄を削り手に馴染む形状に調整する作業です。
「編み」の作業を行う人たちについては、「編み子」と呼ばれていて、昔は子供たちが作業を担うこともあったそうです。
○付け
左右のバランスが崩れるとうちわとして形にならず、「付け」という作業はうちわを完成させる最後の大事な作業です。昔はこの作業をやる人を「付け師」と呼んでいたというほど、熟練した技術が必要になります。
○貼り
まずは骨に糊をまんべんなく、次に紙の根元だけに糊を塗ります。夏は水分量を多くし、季節によって糊の濃度を変えるそうです。
和紙の位置を合わせたあと、たわしで優しく撫でることによって、空気を抜き、隙間なく紙を貼り付けます。
紙の間に空気が残っていると紙と穂が接着しないので気をつけます。
最後に日陰で自然乾燥させます。
○たたき
うちわ作り体験では、はまぐり型と丸型のうち、好きな方を選べますが、伝統的なはまぐり型の方が表面積が大きく、仰いでみると風が冷たく感じました。
左右片側ずつ鎌をあてがって、木槌で力を込めて叩いて余分な部分を切り落とします。
栗林庵スタッフもこの工程を体験させていただきました。思いっきり力をこめて木槌でたたくのでストレス発散にも最適でした。(笑)
○へり取り
「へり紙」と言われる5~7mmほどの細長い紙を3・4cmの間隔であてがってつまんで貼り付けていきます。この作業も体験させてもらいましたが、表裏で均等折って貼るのが難しく、慎重に作業するので時間がかかりました。
昔の職人はへり取りならへり取りを、と一人の職人が同じ作業を担当していたので、ヘリ取り専門の職人にかかると、くるっと回したかと思うともう終わっているほどあっというまに貼り付けられていたそうです。
こうして一つ一つの全ての作業を正確に丁寧に行うことで最終的に丸亀うちわが完成します。
○丸亀うちわ
丸亀うちわの特徴は何ですかと尋ねると、伝統工芸士の大林 正春さんは「雄竹(おだけ)の平柄(ひらえ)」が丸亀うちわの原点である、と教えてくれました。雄竹とは直径の大きな品種の竹で、平柄とは持ち手の部分が平らということを指します。平柄だと割き機にかけることができ、そうすることによって作業効率が上がり量産ができるようになりました。明治時代に組合ができ、町全体としてうちわ作りに取り組んだところも丸亀うちわが全国的に普及した要因です。
「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」
冒頭にも掲げたこの歌のように四国内で手に入る材料で作ることができたというのもここまで丸亀うちわが普及した一因です。
量産できるからこそ値段も抑えられ、丈夫で安い。過剰な装飾をこらしたものではなく、あくまでも日常の道具として丸亀うちわは始まりました。ただ、冒頭でも触れた通り、家電製品の普及にともない、実用品としての出番は少なくなっています。そのかわりに、家に飾って眺めたり、夏祭りで浴衣と合わせたりとファッションアイテムとして使われる方の比重が高くなってきているのを感じるそうです。これからはファッション性や装飾性の高いものに付加価値を見出すことができるような方向に力を入れたいと「うちわ工房 竹」代表の藤岡 陽子さんは語っていました。
藤岡さんはうちわ作りに携わる前は海外に生活の拠点があり、海外の文化に興味があったそうなのですが、日本の伝統工芸の良さに改めて気づくことになり、今は
「日本の伝統工芸に携わることができてとても充実しています。」
と心からおっしゃっていました。
伝統工芸士の川田久子さんは「竹を割って削って細工をするのが本当に楽しい」と目を輝かせていました。
みなさんの真っ直ぐなてらいのない言葉に、自分は心からそう思えることがあるだろうかと改めて見つめ直すきっかけになりました。
藤岡さんは以前、見学に来た小学生から言われて心に残った言葉があるそうです。
丸亀うちわについての説明を聞いたある小学生から(大切なのは)「歴史をつなぐってことですね。」という言葉を投げられました。それを聞いて藤岡さんは小学生から本質を突く言葉が出てきたことに感嘆し、なんとしてもこの伝統を途絶えさせてはいけないと心持ちを新たにしたそうです。今後の展望について藤岡さんは「子供の頃から丸亀うちわを身近に感じてもらい、海外にもアートとして受け入れられればとてもうれしい。」とおっしゃっていました。
今回取材をしてみて、丸亀うちわは他の伝統的工芸品と比べても、技術技法講座を毎年行っており、後継者対策に力を入れているのが分かりました。お話を伺ってみると、伝統工芸士の方もこの講座を受講されてからうちわ作りを始めた方がほとんどでした。定年を迎えて始められた方や子育てが一段落してから始める方もいらっしゃいました。そういった様々なタイミングで始めやすいところも、うちわ作りに携わる方が多い理由なのかなと思いました。
また、関わる方もみなさま仲良くチームワークの良さも感じ、純粋にやりがいを感じている方が多いのも、丸亀うちわに魅力があってのことだと思います。
手仕事と自然の素材の味わい深さ、また、江戸時代から続く日本文化をこれから先の未来へとさらにつなぐことの意味を考えさせられる取材になりました。
香川県高松市で親子3代に渡って漆器店を営む中田漆木にお伺いしました。今回お話をお聞きしたのは中田漆木とは別に、中田陽平個人としても栗林庵オンラインショップに出品いただいている中田陽平さん。
陽平さんは高校卒業後、現在お父様が代表を務める中田漆木に就職し、以来22年間(2022年現在)にわたって漆器製作に携わっておられます。現在は国の伝統工芸士(平成28年度認定)としても活動されており、学生や観光客向けへのワークショップ等を通じて香川漆器の魅力発信にも精力的に活動されています。今回はそんな陽平さんに漆器製作への想いや漆器の魅力について語っていただきました。
最初は漆器製作がしたくて中田漆木で働き始めたというよりは、高校卒業後の就職先として、実家が漆器店を営んでいたから漆器製作に携わることになった、と陽平さん。しかし、製作に携わるようになってからは漆の世界に魅了されていくことに。
「私自身高校を卒業して家業の漆器屋で仕事するようになり、これだけの工程を経て漆器が作られているのだと実感する事で漆器により興味を持つようになりました。」
陽平さんが中田漆木で働き始めたころには、拭き漆と呼ばれる技法が仕事の大部分を占めており、塗りの仕事はそこまで多くはなかったそうです。
拭き漆とは生漆(漆の木から採取した漆を濾して異物を取り除いたもの)を木地に刷り込み、それを拭き取る、その工程を何度か繰り返すことで、木地の木目を活かした艶のある木製品に仕上げる技法です。
また、当時は木彫教室が複数あり、そこから仕上げとして拭き漆の依頼が多く寄せられていたそうです。しかし、当時陽平さんは「その状態がずっと続くことはないだろう、木彫教室の先生も高齢化しいずれは引退される。お弟子さんがいらっしゃる場合もあるだろうけれど、生徒さんがそのまま教室に残られるとも限らない。」と考えていました。実際、当時から教室は減少し陽平さんの懸念は現実のものになってしまいました。
そこで、当時陽平さんは拭き漆だけでなく塗りの技術も必要だと考えていたそう。そんな折、一度、家を出て外で働いていらっしゃったお兄様の大輔さんが中田漆木に就職するために戻ってこられたことで、技術を学ぶため香川県漆芸研究所(以下、研究所)への入所を決意。昼間は研究所に通い、帰宅後は中田漆木の仕事をこなすという生活を送られたそうです。
「香川県漆芸研究所は、香川県の伝統漆芸や人間国宝の技法を受け継ぐ人材の育成を目指しています。」(香川県漆芸研究所HPより抜粋)
特に研究所では香川漆芸の3技法、蒟醬、彫漆、存清をメインとしており、これらは「彫る」ことをメインとした技法です。(技法の説明はこちらのページをご覧ください。)
現在陽平さんは、研究所で学んだ技法を使用した商品も製作され、栗林庵へも納品いただいています。特に陽平さんは存清を専攻していたこともあり、現在も存清を使用した漆器製作をよくされているそうです。また、3技法とは別に香川県の代表的な技法である象谷塗の漆器もよく製作されています。(象谷塗についてもこちらのページをご覧ください。)
漆器製作をするにあたって心がけていることをお聞きすると、「ひとりひとりのお客様のご希望に合わせて既存の商品をご提案したり、木地からオーダーメイドできる事も含めて、できるだけ気に入って貰えるよう意識して製作しています。」そのために、「今も昔も根本は変わらないと思いますが、より漆の魅力をアピールできるように自分達の知識やできる事を更新していきたいと思っています。」と語ってくださいました。
そう語られた通り、栗林庵オンラインショップの企画「香川の漆作家特集 vol.4」では、香川県産にこだわった商品を出品いただきました。
「今回出品している品物は素材から香川県産にこだわっているので、菓子切りに使用している竹をさぬき市長尾地区から伐採してきたり、器も数少ない地元の木地師に依頼したりして製造しています。見た目にも素材がわかりやすい仕上げを施しているので、漆器が作られた時間を感じて頂きながら長く使って貰えれば嬉しく思います。」
他にもヤドン関連商品の製作や、日本最大の産地である香川県の手袋とのコラボ商品の製作もされており、伝統を大切にしながら新しいことにも挑戦されています。
取材を通じて、特に陽平さんが大切にされていると感じたのが、人と人との「つながり」や「コミュニケーション」ついてでした。漆器製作について考えようとすると、「伝統」や「技法」などに意識がいきがちですが、陽平さんのように生業として漆と向き合った時、漆器産業に限らず、ある種、仕事をする上で根本的な部分が非常に重要なのだと改めて感じました。
その一例が漆器には欠かせない素地の部分である木地製作に纏わるお話でした。先に今回の出品商品に関するこだわりのところで語ってくださっていますが、地元の木地師の方へ依頼されたというのも、県産品へのこだわりはもちろんのこと、何より製作にあたって密にやり取りができること、日頃から信頼関係を築けていることが大きいようでした。
木地製作を木地師にお願いする場合、図面を渡して希望の形に挽いていただくわけですが、県外の場合だとどうしても微妙な修正が難しく、また注文ロットも大きくなることに加え納品までに時間がかかることもある。その点で今お願いしている県内の木地師の方だと微妙な修正やロットでも相談がしやすいという強みがある。これは日頃から、仕事に限らず、ちょっとした世間話をするなど、信頼関係が築けていることが大きいと、陽平さんは仰っていました。また、これは木地師だけでなく他の部分に関しても、ふだんから作り手との横のつながりを持つことが重要であるとも語っておられました。
コミュニケーションの大切さは製作面だけでなく、販売の部分でも非常に重要だと陽平さん。展示会や直接工房に来られたお客様の声を聴き、そこからニーズを汲み取っていくことは製作の指針になる非常に重要な部分。オーダーメイドでご注文をお受けする場合には、お客様のイメージに沿えるよう密にやりとりをして、真にお客様が求めているものはなにかを知る必要がある。そのためにお客様とのコミュニケーションが重要になることは言うまでもない。その上で、自身の知識や技術に不足があれば要望に応えられるように勉強してアップデートしていく。その繰り返しだと仰っていました。
最後に陽平さんにとって漆器の魅力についてお聞きした。
「長く使うことができ、使っていくうちに表情が深くなる」、こういうのもなんですが、と前置きをされたうえで、「僕が作った漆器でなくてもよいので、しまいこまわずに普段から使ってほしい。額作品なら普段から飾って鑑賞してほしい。もちろん、(陽平さんが)製作した漆器を使っていただけると嬉しいですが」と笑顔で仰っていました。
漆器は修理や塗りなおしをすることで長く使うことができる。また、漆器は軽く熱が伝わりにくいため飯椀や汁椀としても非常に優れている。まさに普段使いにぴったりの食器だ。木目を活かした木のぬくもりを感じるものから、漆器のイメージカラーとも言えるシンプルな深みのある黒、加飾を施した華やかなものまで、自分のライフスタイルにあった漆器をぜひ普段の生活の中に取り入れてほしい。
中田漆木ではオーダーメイドだけでなく修理も請け負っている。漆器のことで困ったことがあれば、陽平さんはもちろん中田漆木に相談してみてほしい。
突然ですが、みなさん和菓子はお好きでしょうか?
いろいろなスイーツがSNSや雑誌をにぎわせ、スーパーやコンビニなどで目にする機会も多い昨今ですが、和菓子に使われる素材の素朴さや、ほどよい甘さに安心感を感じる方も多いのではないでしょうか。
今回は和菓子の中でも、「種菓子」と呼ばれる最中の皮やふやきせんべいを専門に焼き上げ、県内外の和菓子屋に卸しをおこなう髙尾最中種商店にお邪魔しました。
『栗林公園の松、桜、雪』は栗林庵のオリジナル商品で、2022年3月の販売開始以来、累計1500個以上を売上げるヒット商品になりました。もち米粉をベースにほのかに感じる醤油風味のせんべいに高瀬茶などを混ぜ込んだ和三盆糖を表面に塗った昔ながらの素朴で上品なお菓子です。甘味がやさしく軽い食感なので、食べ飽きることがなくリピーターも多くいます。
それではさっそく、『栗林公園の松、桜、雪』シリーズの製造工程を見ていきましょう。
○もち米の玄米を精米→洗米→浸水→脱水の工程を経て、製粉する
まず自社で保管するもち米の玄米を精米し、それを粉にします。
このもち米を製粉するために必要なのが製粉機なのですが、最中の皮を作る事業者の中にも自前で製粉機を持つところと持たないところがあるようです。製粉機を自社で持つことにはメリットとデメリットがあります。デメリットとしては、当然お米の管理を自分たちで行う必要があり、作業工程や清掃作業が大変だったり、また準備に時間がかかるため急な注文に対応できないということが挙げられます。
そして、メリットは自社で製粉を行うことによって、新鮮なもち米粉を原料とすることができ、美味しい種菓子を作ることができるという点です。
○こねる(生地をつくる)
新鮮なもち米の粉に水と砂糖、醤油を混ぜ合わせミキサーでこねます。(ちなみに醤油は香川県産の醤油を選りすぐっているそうです。)
ミキサーでこねた生地は機械で圧延し、手作業で裁断します。
○ローラーでサイコロ状にカットする
板状になった団子の塊を商品ごとの幅にカットし、専用の機械に通すことでサイコロ上の団子ができます。生地は時間が経つとどんどん硬くなるので、すぐさま焼成作業にかかり、ふやき煎餅にします。
○鉄板で焼く
サイコロ上の団子を鉄板に並べ上下から挟んで焼き上げます。そしてサイコロ状から円形に広がったせんべいをまだ熱いうちに手で半分に折り曲げ、さらに焼き上げます。この時に厚みと形を調整するそうですが、誰がやっても同じようにできるわけではなく、ふっくらと軽い食感で綺麗な円型にするには熟練の技が必要とのことでした。
ちなみにこの機械を作っていた会社も今では無くなってしまったので、メンテナンスは自分たちで行うそうです。この機械だけではなく、他にも最中の焼成機のメンテナンスについても同様で、そこの調整にも長年の経験や感覚が必要になります。
○砂糖を塗る
和三盆、上白糖、卵白、水など混ぜたものを全て手作業で焼き上がったせんべいに塗っていきます。(写真は『栗林公園の松』。高瀬茶の粉末が入っているため緑色をしています。)
通常、どうしても塗った砂糖が流れてしまうそうですが、試行錯誤の末、砂糖が流れない方法にたどりついたそうです。
また、砂糖も日にちが立つほどにどうしても劣化してしまうので、作り立てを出荷できるように、製造と在庫管理には気をつかっているそうです。
○乾燥
○包装
そして乾燥させたものを専用の機械で個包装し、完成です。
話を聞くところによると、製粉したもち米粉はその日の気温や湿度によって調子が違ってくるため、何十年も前からその日の気温や湿度、材料の配分、焼き時間などを細かく記録したノートをずっとつけているそうです。昨今はほとんどの作業を機械が行なってくれるということが多い中、髙尾さんは生地の柔らかさやその日の気温などいろいろな条件に合わせて、材料の配合、分量や焼き加減などを“職人の長年の勘”で調整しており、365日、変わらぬ製品をつくれることが髙尾最中種商店の強みと語っていました。
パッケージデザインをお願いした藤本 誠さんのイラストを額に入れて作業場の壁に飾っていました。
パッケージについてだけではなく、商品開発についての心構えなどについてもお話しを伺い、深い感銘を受けたため、藤本さんにコピーをいただいたそうです。
作業場の中には最中の皮を成形して焼き上げるための型がありました。この型を作る会社も日本全国で数社ほどしかなく、注文しても半年以上かかることも珍しくはないそうです。最中の焼成型は240度前後の温度で使用されるので、熱によるゆがみや、経年劣化による模様の荒れが出てくるとのことです。
できるだけ最中型が長持ちするように、最中型・焼成機の普段のメンテナンスを自分たちで行うことができるのも髙尾最中種商店の強みの一つだそうです。
○新店舗について
現在開店準備中の新店舗についてもお話を伺いました。(2022年10月現在)
新しい店舗ではオリジナルの最中も販売予定で、こちらは新たに自社用に型を作成し、自宅でオリジナルのあんこを最中の皮にはさめるような販売方法も検討されているようです。
お店では最中などを販売するのはもちろんですが、せんべいや最中のできるまでの過程がわかるようなパネルを設置するそうです。自分たちが作ったものを売ることが目的ではなく、せんべいや最中の文化やおいしさを知ってもらうことで、和菓子業界全体に興味を持ってもらって、ゆくゆくは本業である卸業を活性化させるのが狙いだということです。
これまでは卸業を中心に事業をされていたようですが、これからはそれ以外の新しいことにチャレンジしたいという前向きなお話も伺えて、こちらも背筋が伸びるようでした。これからの髙尾最中種商店にもみなさん期待してください。
髙尾最中種商店は祖父、祖母の代から父、母、息子、奥さんとご家族を中心に長年つづけられてきたようですが、経験と勘をたよりにおいしさのために妥協のない製造方法を守り通しているのを今回の取材で強く感じました。また、ハイテクな機械まかせではなく、自分たちで細かいメンテナンスや調整を行い、全体としてどこか人肌の温度を感じることができるところが、最中やせんべいの安心感のある素朴な味につながっているのだと感じました。みなさんも、昔ながらの最中やふやきせんべいの味をあらためて再発見していただければうれしいです。